流れゆく1ページに(47)
2026年 02月 07日

第二次世界大戦後、国際法の遵守が意識されたのか、国家主権の神聖視が定着した。そして多くの植民地が独立し、国境による地球分割の総仕上げが行われた。敗戦国でさえ、半国家としての存続を許された。半国家には二つの形式が存在する。一つはドイツや朝鮮半島のような南北、あるいは東西に分断された国家群であり、いま一つは日本のような非武装国家である。(中略)あらためて問いかけてみたい。日本はなぜ半国家ではいけないのか。現状のどこに不都合があるのか。《軍備》と《儀式》の二本足に力をこめて、目指すところはいったいどこなのか。
戦争を考える場合、「殺す側」と「殺される側」とを分けて考えてはいけないのだ。敵であるか、味方であるかを問わず、戦争は兵士の悲劇なのである。支配者はしばしば敵の戦士の死にさきだって、味方の戦士の死を求めようとするものだ。(集団化の法則の応用)
人間の進化の果ては地球の破壊者になることだったのだろうか。それが誕生以来DNAに刻み込まれたプログラムだったのだろうか。
以上、安部公房著『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』より引用。
歴史は、死んだ事実や事件の物語ではない。詩と同様に歴史は、我々自らを知るオルガノン(研究方法)であり、我々の人間的宇宙を作り上げるための欠くことのできない道具である (カッシーラー著『人間─シンボルを操るもの─』 宮城音弥訳より)
写真は一歳半の愛猫、積雪のバルコニーにて。
by hofmizuki
| 2026-02-07 21:31
| カッシーラー
